Gregorian Chant

 私が魂を奪われている音楽の中でも、このグレゴリアンは「魂をささげている」といっても
過言ではないかも・・・。
おかげさまで卒業論文も無事、単位がもらえて一段落。
しかし、グレゴリアンの扉をたたいた程度の私の勉強は、まだまだこれからが本番とも言えるでしょう。
新しい事柄を勉強したら順次このページにアップしていきます。まずは基礎知識。 

グレゴリオ聖歌って何?
癒しとしての注目
グレゴリオ聖歌セミオロジー
グレゴリオ聖歌の種類と形式
ミサについて
典礼暦について
グレゴリオ聖歌を勉強する前に

History
グレゴリオ聖歌って何?

古くはまとまったものではなかった典礼音楽たち。
それを時の教皇、グレゴリオ1世がまとめあげたものを一まとめに指して
「グレゴリオ聖歌」と言います。その成立年代は紀元900年〜1000年(前ミレニアム!)途中、
2〜300年間全く歌われなかった空白の時間をはさんではいるものの、
今世紀のバチカン公会議までは毎日の聖務日課(お祈り)と主日のミサではいつも
この聖歌たちが歌い継がれてきました。残念ながら今日では歌われなくなってしまいましたが、
その敬虔な祈りの言葉は後世に語り継がれていくのでしょう。
ちなみにグレゴリオ聖歌の大部分は、聖書の言葉です。
本当に最初の最初は、聖書を修道士や神職が読み上げるところから始まったと
言われており、それに節がついて聖書を「唱え」始めたのがグレゴリオ聖歌の原型です。

 

 Healing music
「癒し」としての注目

近年、音楽界ではグレゴリオ聖歌がブームになっています。
私の先生はグレゴリアンを「祈りの言葉」であって「音楽」ではないと言いますが、
音楽学的に分析するとこれらの旋律や音は、人間の耳にとってストレスのない自然な音
「純正率」になるのだそうで・・・。記譜法の確立により音階というものができたわけですが、
音階と言うのは人間の耳に合わせたのではなく、科学的に1オクターブを12個に分けて、
すべての調を平均的に演奏するために調整されたものです。これを「平均率」といい、
バッハ以降の音楽はほとんどが平均率です。(バッハに「平均率エチュード」という教本がありますね。)
しかし、平均率は純正率の音階に比べて全ての音が微妙にずれているために、
人間の耳にはストレスとなってしまうのです。

 

Semiologie
グレゴリオ聖歌セミオロジー

グレゴリオ聖歌は、現在の記譜法の基礎になったと言われています。
初めは修道士たちの口承によって伝えられていましたが、年をへるにつれて
1年に1度しか歌われない聖務日課などは、
どうしても記憶に頼る解釈には微妙なずれがでてきますね。
というわけで間違いを防ぐために、修道院に1〜2冊しかなかった
貴重な羊皮紙の聖書に記号を使って歌い方を記すようになりました。
それらの書きつけは古ネウマと呼ばれ、これがまさに現代5線譜の先祖です。
古ネウマは18〜19世紀にフランスのソレム修道院で熱心に研究が行われ
「ソレム唱法」という、音の長さをすべて一定にして歌うという解釈が進められました。
現代ではその解釈は間違いを指摘されていますが、
彼らによってグレゴリオ聖歌の研究の扉が開かれたのは言うまでもありません。
というわけで、ネウマを解釈することを「セミオロジー」といいます。
このネウマ譜には二種類あり、ソレム修道院他フランス系のネウマと、
ザンクトガレン、アインジーデルン他ドイツ系のネウマがあります。
しかしその両方は、ほとんど解釈の違いを見ません。
車も鉄道も無かった千年前に、高い高いアルプスを挟んでもなお
寸分たがわず伝えられた聖歌、ある意味修道士たちの信仰が起こした
奇跡とも言える事実です。

Form
グレゴリオ聖歌の種類と形式

グレゴリオ聖歌は、大きく2つの種類「聖務日課」と「ミサ」に分類されます。

1.聖務日課
 修道院では、一日に祈りをささげる時間が決まっています。修道院の全員で行う祈りを
「聖務日課」といい、その聖歌の様式はシラビック(各音節に音がついている)です。


2.ミサ
 修道院では、8世紀頃から毎日かかさずミサを挙げるという習慣がありました。
ミサは修道院生活の中心であり、またキリストの死と復活を記念して行われるものです。
かたちとしては固定のもの(「ミサについて」参照)がありますが、
その内容は毎日同じではありません。
教会暦(「典礼暦について」参照)というキリスト教独自のこよみにしたがって、
ミサの内容は変わります。
 最初にミサは毎日挙げられると書きましたが、一年で一日だけ例外があります。
キリストが十字架上で死んだ日(復活祭)の前々日の金曜(聖金曜日)だけは、
ミサがありません。かわりに「聖十字架の崇拝」という式が行われます。

 

Mass
ミサについて

 ミサ(ラテン語でMissa)とは:
 聖書にあるように、キリスト教の神は日曜日を安息日と定め、キリスト教徒はその安息日に
「ミサ」(礼拝)を行い、教会で祈りをささげるのです。
私が専門にしているのは宗教改革以前のグレゴリアンや中世・ルネッサンス音楽なので、
ここでお話する「キリスト教」というのは今で言うローマ=カトリックを指します。
日曜(主日)にあげられるミサは固有文(Proprium)と通常文(Ordinarium)からなりますが、
のちの作曲家たちの「ミサ曲」というと通常文のみを指します。
固有文は一年を通して日ごとの固有の文ですが、通常文は一年を通じて18パターン
(credoは6パターン)から選んで唱えます。

ミサ式次第

ミサ通常文(日本文対訳つき)
Kyrie
Gloria
Credo
Sanctus
Agnus Dei


ミサ固有文(サンプル:復活祭)

 

Calender
典礼暦について

 日本における二十四節のように、キリスト教にも独自のこよみがあります。
西暦はイエスが誕生してから経た年数を数えたものであるというのはあまりにも有名ですが、
キリスト教の暦「典礼暦(教会暦)」というのは、仏教国の日本ではクリスマスくらいしか
知られていませんね。
典礼暦は、12月25日のキリストの降誕祭(クリスマス)の4週間前の日曜日
(12月1日に最も近い日曜日)から始まる(ここからクリスマスまでを待降節といいます)暦です。
以下に、主な祝日を記した典礼暦を載せました。
年間を通じてここに載せた以外にも聖人の日(聖母マリア、トマス・アクィナスの祝日だけ掲載)
など、祝日はたくさんあります。

典礼暦(抜粋)

 

before studying
グレゴリオ聖歌を勉強するまえに
 

グレゴリオ聖歌というのは、典礼の「祈り」です。
つまり、典礼の祈りの言葉とその意味を知らなければ、ただの音楽で終わってしまいます。
音が音でなく「祈り」であるためには、唱える人の「こころ」が吹き込まれなくてはなりません。
音楽学的にはグレゴリオ聖歌は音楽のベーシックだと解釈されていますが、私はグレゴリアンの
勉強を始めて、その「祈りの言葉」という本来の性質より、「記譜の基礎である」という性質のほうが
一般的に大きくクローズアップされすぎているような気がしました。
以下に私の卒業論文からグレゴリアンについて感じたことを転載しておきます。

 東洋に声明、西洋にグレゴリアンありきと言われ、グレゴリオ聖歌は最高の芸術、
ヨーロッパ音楽の基礎を築いたと言われて久しいが、私はグレゴリオ聖歌を芸術、
音楽と言う分類をすることに少なからず抵抗を感じる。グレゴリオ聖歌は神の言葉を伝える
手段のひとつであったのだから。
敬虔な修道士たちが、特別に訓練を受け長い歴史の中懸命に「神の言葉」を一字一句として
もらさぬよう大切に伝えてきた賜物なのだ。
その成立の過程を見てもわかるとおり、先に音が出来たのではない。
まず、「神の言葉」、聖書がそこには存在したのだ。「よく歌う人は倍祈ることになる」
といわれるように、私たちは畏敬と真実の心をもってこれらに接しなくてはいけない。

 わが国には、「言霊」信仰というのがある。
いろはの50の言葉一つ一つに聖霊が宿る、という信仰だ。
日本人も、太古の昔はそうしてひとつひとつの言葉を大切にしていたのである。
一文字ずつ、神のたましいの宿る―グレゴリオ聖歌も、これに等しい、いや
ほとんど同じものを感じていたといっても過言ではない。
そこに存在していたのはメロディーでも音楽でもないと私は考える。
そこにあったのは神の言葉だ。
「はじめに言があった。言は神であった。言は民衆のところへ降りてきたが、(以下略)」
と福音書にかかれているように、これもまた神のたましいの宿る「言葉」なのだ。
グレゴリオ聖歌、神の宿る言葉は、信仰心と神に対する畏敬の念をもって
唱えられなくてはいけない。どれだけ解釈が、セミオロジーが理解できていても、
自らの心をもってして唱えることができなければ、「それはただのやかましい」(ヨハネ)
音になってしまうからだ。肝心なのは歌唱の方法ではない。まさに「心からの祈り」なのだ。

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