天からの恵み―St.Ottilienにて

朝と呼んでもいいのだろうか、まだ陽のない午前5時に私の一日は始まる。
初めての聖歌隊の研修旅行。初めてのドイツ。
英語という言語を通して白人文化慣れしている私も、ここでは見聞きするもの全てが新鮮だった。

色々あってようやくたどり着いた最初の滞在地Salmunster
グレゴリオ聖歌が夢に出るほど歌いこんだスイスの
Uznach
そして最も印象的だった土地
St.Ottilien

 Ottilien
の朝は、5時すぎの「朝の祈り」に始まる。寝ぼけた眼をこすりながら大聖堂へと続く石畳を急ぐと、すでに冬の気配をも感じさせるぴりりと澄んだ冷たい空気が、私の目を覚ます。朝の祈りに続くミサが終わると、空になったお腹に朝ごはん。パン、チーズ、フルーツにいたるまで、全てがこのOttilienの太陽と大地と動物たちの恵み。朝食が済むと、昼食まであとは自分のための時間。陽だまりの中、長いすで読書をしながら眠ってしまったり、日本へ絵葉書を書いたり、修道院を散歩の途中、聖堂でお祈りしたり。普段騒がしい東京にいるときには考えることもなかったことをひたすら、考えてみたり。
 Ottilien
は、私の中に伊豆の実家にいるような錯覚をよく引き起こした。どこまでもどこまでも続く大きな自然と、すずなりの果樹と、空の高さと空気の濃さと。静かな生活と十分すぎるほどの「祈り」のための場所と時間は、東京の生活の中で堆積する化学物質の垢をそぎおとし、少しずつ私を本来の「わたし」に戻してくれる。
 ようやく聖堂に陽が落ちかけるころに、夕食が終わりその日の最後となる晩の祈りが始まる。私はこの時間が一日の中で一番好きだった。わずかな灯りにともされた聖堂で静かに今日一日を振り返りながら、穏やかな眠りへと誘うかのような晩の祈りはゆっくりと幕を閉じる。晩の祈りが終わるとこれもまた毎日の楽しみであった、ビールを伴った楽しい語らいの時間。ビールの飲めなかった私も濃い麦の味が美味いドイツビールをよく飲み、毎日楽しい話をたくさん聞かせていただいた。
 今はドイツから戻ってまだ1月半しか経たないのに、あの生活がすでに遠い過去のもののように思われてならない。けれど、折にふれてOttilienが思い出される。食後の何気ない一瞬、思わず口をついて出そうになる言葉。日が落ちて夕食をとり終わると、なんとなく聖歌が歌いたくなったり、その後にお酒が飲みたくなったり・・・これはあまり、ほめられた思い出ではないけれども。

(聖歌隊月報に寄稿した文章より。01/10/28)

 

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