今日のお供2000
 

12月21日 「神学大全」より「情念」について(トマス・アクィナス)

 お供にしちゃ重いんですよ、この本は。
何しろ訳で全36巻。神学大全といえば誰しも歴史で一度は聞いたことのある書物。
私も名前はよく知っていたものの、読むのは初めて。授業で一部を取り扱ったことはあるけど。
中世の神学まではみっちりとやってる私が一番大好きな聖ボナヴェントゥラやニュッサの
グレゴリオスは、レトリックの美しい書物をたくさん残しているのだけど、それを理解するのは
非常に難しいところ。先人の思想と聖書を縦横に駆使したムダのない美しい神学書。
だから、トマスのこれも大作だしわかりにくいのかしら、と思ってはいたんだけれど、実際に講義で
先生が刷ってきたハンドアウトを読むと、結構わかりやすくて面白いじゃないですか。
私は思想が専門じゃないんだけど、思想系の授業はかなり先生に恵まれて過ごしたので、きっと
この先生のセレクトなら間違いないだろうと思って、思い切って借りてみた。
講義では「愛」についてだったのだけど、それでは物足りなくて、というか先生の
デカルトの「情念論」と比較すると非常に面白いんですね、トマスの「情念論」は。というお言葉。
以前にデカルトの情念論でレポートを書いたことがあって、これは面白そうだぞ、と。
当然トマス・アクィナスにも「情念論」という書物があると思いきや、これは神学大全の一部。
ちょっとだけご紹介。「愛」とは、「親愛の愛」amor amicitiaeと「欲情の愛」amor concupiscentiae
とに分けられるか、愛の名称:愛 amor、愛情 dilectio、愛徳 caritas、親愛 amicitiaの相違と分析、
などなど。愛、だけでもこんなにあるのに、読みきれるのかしら・・・?
 ちなみに、神学大全には天使についての一冊も。私は12の位階にわかれた天使のうち、最上級の
熾天使セラフィムが好きで、それで熾天使的博士ボナヴェントゥラの「セラフィムの6枚の翼」を
勉強したんだけど、この位階論というのは偽ディオニシュオス・アレオパギテースによって書かれた
もので、そのディオニシュオスの天上位階論と天使について詳しく語っているのです。
と書いても、どれだけの人が理解できるのでしょうか・・・。オタクかしら?私。

11月20日 「あしながおじさん」(ウェブスター、谷川俊太郎訳)

 あしながおじさんといえば、むちゃくちゃ読みまくってボロボロなんですが、これはブックオフで見つけた
谷川俊太郎訳というめずらしいバージョンだったから買ってみました。もともと読んでいた本と、
新潮文庫の訳と、ペーパーバックと、子供用の易しい原書と、4冊持っているんだけど。
谷川俊太郎の訳は、かなり新鮮。書簡集だからたいていの訳は丁寧な文章なんだけれど、この訳は
ブロークンな口語(タメ口)で訳されております。それはそれで面白かったんだけど、林真理子の解説
がついていて、そっちが・・・。これ、子供だって読むんでしょ?やれ年寄りの金持ちと結婚したマダム
だとか、妙な彼女の意地の悪い分析が延々と続いて、続編で彼女の友人サリーに主役がバトンタッチ
したことについても、金持ちマダムのジュディじゃ面白くないから、とのたまった。
あんたに言われたないんだよっ!!子供の夢をこわさないで。 

11月17日 「アウトブレイク」(ロバート・タイン)

 またまたバイト用に仕込んだ本(笑)そして大学の近所に、わたしの魔窟、ブックオフが開店した
ために、取り込まれてたんまり本を仕入れてしまった次第。
最近、私が熱帯感染症をはじめとする熱帯医学にはまっているのを知っている知人たちは「・・・」
という感じなのですが。おまけに読んだらビデオまで見たくなって、しかも人んちで借りてきて見る
始末・・・(苦笑)
 それは置いといて、これは言わずと知れたエボラ出血熱をモデルにしております。
映画でも、実際のエボラウィルスを使っておりました。エボラが、アフリカで大流行。そして、
菌を持っている猿が密輸されて、アメリカでヒトに感染、そして菌の突然変異により空気感染・・・
(エボラは空気感染はしない)このままではアメリカ消滅か?というお話なのですね。
実際のエボラ出血熱というのは、宿主がわかっていないため、ワクチンがありません。
そして、突然の発熱と出血(鼻血・下血)。感染者の体液に触れることによって感染します。
そういえば、この映画が封切になったとき、アメリカの友人とエボラについて語ったっけ。だけど、
英語だったから専門用語がわかんなくて大変だったわ。そういえば。ちなみにエボラ出血熱は
Ebola haemorrhagic feverといいます。 

11月10日 「紫禁城の黄昏」(R・F・ジョンストン)

 いつもの閑職バイトのために、部屋のわずかな蔵書をあさるうちに、この本をまだ読破して
いなかったことに気づいて。結構文庫としては厚みがあるので、めったに持ち歩かないともあり
最後までちゃんと読んだことがなかったこの本。しかし、映画「ラストエンペラー」の原作なので
結末は知っているわけで・・・。この本の内容を言うと、中国清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の生涯。
著者ジョンストンは彼の家庭教師として彼が紫禁城を追い出されるまで彼とほぼ毎日を過ごす。
優秀な外交官であり、学にも明るかったジョンストンのこの書は、歴史書としても、ストーリーとしても
読みごたえのある一冊。しかし、明朝〜清朝、ひいては大まかな中国史を知らないとわかりづらい
個所もあり。私はいちおう世界史を勉強したんだけど、清朝の末期〜中華民国建国期の激動の
時間がそこには鮮明に描かれているため、なかなか理解不能なマニアックさもあり。
映画のラストエンペラーを初めて見たときも、???だったんだけど、一通り世界史を勉強してからも
?がいっぱいで、見るたびに新たな発見がある、大好きな映画の一つ。「西太后」を平行してみると
シンクロするところもあって面白いかも。ラストエンペラーはもう少なくとも10回は見てるかもね。
数年前に、原作を読もうと思って買ってからようやく、読破に至った一冊。

7月14日「ウェディングドレスはお待ちかね」(赤川次郎)

 思いもかけず過労で発熱、熱がある間は寝てりゃいいんだけど(笑)熱が下がるととたんにヒマ。
テレビなんか見つつうとうとしつつ、まとめ買いの最後の一冊をのんびり読む。
これはシリーズの第1作で、麗子とケンの記念すべき出会いの本。実は麗子、婚約していたんだね。
全然別の人と。それにからんで、やれ保険金殺人だ、結婚詐欺だとばたばたするうちに
気づくと妹美知の策略で、麗子と美知は入れ替わる・・・そして美知のシマを守るため、美知の代わりに
決闘まで(!)そこで出会ったのが、敵グループのナンバー2、ケン。
麗子はボスなど目をくれず(笑)まんまと決闘をやってのけ、なんと勝ってしまう!
そしてやはり思うところあったケンとめでたく両思い。これからのシリーズを予感させる一冊。
私は逆に読んでしまったのだけど、これが第1作、「ベビーベッド」が第2作。そして「スクールバス」
が3作で、最後に小学校ご入学とくる。なかなかでした。ごちそうさまでした。

7月10日「ベビーベットはずる休み」(赤川次郎)

 またまた閑職(!)のバイトの合間に持っていった前記のシリーズもの。
しかーし、月曜とあって来客が少なく(社内会議は多いんだけどね)、受付はいつにもましてヒマ。
眠気をまぎらわしつつ、勤務時間中に読破してしまうという快挙?
読んでいる途中に、社の前をご近所でバイト中のこいけが・・・・恥ずかしい制服姿を見られてしまい
というのはさておき。これは麗子とケンの娘、サッちゃんが生まれたばかりの頃の物語。
サッちゃん、あわや誘拐?というピンチを乗り越え、キメの部分ではしっかりと決着をつけてくれる
物言えぬサッちゃん(赤ちゃんだから、当たり前か)。ま、読む順番は逆になってるけどね。

7月5日「プリンセスはご入学」(赤川次郎)

 この二日前に読んだ「スクールバスは〜」の続編。実はこれ、シリーズだったんだねぇ。
というのがわかってから前作と続編が読みたくて、K池の家に向かう途中のブックオフに寄って
残り3冊を買ってしまう(爆)そのうちの一冊。あと二冊残ってる、うひひ。
大富豪の双子のお嬢様、ひとりは暗黒街のボス美知、ひとりは跡取娘の麗子。その麗子のおつとが
美知のかつての不良仲間ケンで、この編は麗子とケンの一人娘幸子にからんだ事件。
かる〜いのりで(まるで映画館でポップコーンをつまむように)読めてしまうので、あまりひまつぶしには
適していないかも。ま、口なおしにほおりこんだドロップのようなおいしい本。

7月3日 「スクールバスは渋滞中」(赤川次郎)

 バイトの最終日。しかーし、仕事相変わらずなし。
またまた、霞ヶ関ビル内の「本屋さん」という本屋(笑)に足が向いてしまう。
サクッとライトで、しかし眠気を誘わない本を、オフィスビル内の本屋さんに求めるのは結構難しい、
ということが判明。本屋はもともとその立地に大きく左右されるものだけど、「週刊ダイヤモンド」とか
「日経〜」とか、経済とビジネスの本しかないんだもん。じゃなきゃ、お姉ギャル系雑誌。
というわけで、内田康夫も読んだのばかりだし、「思春期の子供の育て方」とか「絶対勝つ!心理学」
とか買ってもしょうがない(笑)からほんと何年かぶりに赤川次郎の本を買う。
でもこの人の本は軽すぎて、1時間ちょいで読み終わってしまった。これも困ったもんだ。

6月28日 「夢で会いましょう」(村上春樹&糸井重里)

 またまた閑職にあるわたくし(笑)控え室にあった本をお借りして読む。
糸井の文章は好きではないけど、春樹は大好きなので、読む。横文字をテーマにして、ショートショート
を互いに文を交わすように、書く。最初の一行で、糸井と村上の差はすでについている。
職業モノカキと、コピーライターとの歴然な差がつく。小説という土俵では横綱と子供みたいなものだ。
糸井は超短文に関しては動物的なカンの鋭さをもってはいるけれども、長い文となると
書けるもののやはりその文章に短文ほどの才能を感じない。それが、かえって春樹の才能を
際立たせる。短い中にも彼らしさがでている文章がいくつか見られていい収穫だった。

6月26日 「紅藍の女殺人事件」(内田康夫)

 バイトの合間に、というより場所が変わって仕事がない、と判明したため、急遽昼休みに
ビル内の本屋さんで買った本。なんでもよかったんだけど、じっくり読む本だと、仕事に差し支えが
あると困るのでここはサクっとライトに(笑)推理小説。で、これ読んだかな?と記憶が危うい本を
発見したのが、これ。内田康夫はほとんど読んでるから。「ふるさともとめて はないちもんめ」という
わらべうたをキーワードに、過去と今との点と線を結ぶ謎の人物。ま、いつもの浅見探偵さんの
シリーズなので、推理小説のページ参照、としておきましょう。

6月15日 「夜と霧」(ヴィクトール・フランクル) 

 「映像論」にたまたま出席していた(笑)ときに、写実だかリアリスムだかの話を先生がしていて、
フランス映画の後に、この本を元にしたアウシュビッツの記録映画がえんえんと流れていた。
シンドラーのリストみたいにハリウッド的演出をしているわけでもなく、現在のアウシュビッツの遠景
から、ゆっくりと内部の、今は誰も住んでいない(ここはもともと人が住んでいた場所ではなかった)
アウシュビッツ村の、収容所跡(建物はすべて保存されている)。誰も出てこない、収容所の遠景と
当時の記録写真だけのシンプルな構成は、かえって人類の悲劇を際立たせる。
この本の著者は心理学者であり精神科医であるので、体験記というより心理学的分析を交えつつ
自らの収容所生活を綴っている。妻や子や身内は全て餓死か病死というなかで、運が良かったとしか
思えない彼の収容所生活ではあるけれども、自分では想像もつかないその過酷な環境における
人々の心理は今となってはもはや葬られつつある過去であるかもしれないけれど。

5月24日 「舞姫」(森鴎外) 

 最近バイトに精を出しているんだけど、なにせ閑職なため(!)本を持って歩く毎日。
遠藤周作をあっというまに読んでしまって、新たに加えたラインナップ。
この本は鴎外の短編集だけど、代表作「舞姫」が読みたくて買いました。「舞姫」は高校の時に大体の
人が現代文の授業で学んでいるはず。そう、あの文語体の読みにくいお話。
ものすごく後味の悪い、そしてほとんどが自伝というこのお話は、ヴィルヘルム1世統治下のドイツに
留学中だった鴎外とその恋人(後に日本まで追いかけてくる)エリスとの純粋な、あるいは計算高い、
または身分違いのラブストーリー。ま、国費留学してきた国の将来を背負うエリートと、家計のために
ダンサーに身をやつす少女エリスとの恋はまるで昼メロのような展開。そして男は彼女とのスキャンダル
による国費打ち切りというピンチを迎え、貧乏でも彼女との楽しい生活を営む彼にの中に訪れる
急展開は彼女の妊娠。ここで私の好きな一文が登場。
“貧しきが中にも楽しきは今の生活、棄て難きはエリスが愛。”
そんなときにキーパーソンの朋友から就職と栄転、帰国への誘い。彼は悩んだ挙句に今の自分は
自分ではない、と地位と収入を選ぶわけだ、結局。クライマックスにはこの朋友がまたまた一役。
結論。朋友相澤が彼の帰国と栄転話(もちろんエリスと別れることが条件)をエリスにネタばらし。
あわれな妊婦エリスはパラノイアとなり彼は日本に帰国。なんとも後味の悪いメロドラマです。
それよりも一番頭に来るのは主人公の彼の最後の一言。「やっぱアイツ(相澤)は一番の友だ。
だけどやっぱりエリスの件はちょっと恨んでるんだよな、オレ。」いーかげんにしろー!!
ぜんぶおまえのせいだ!といいたくなる結末。なんにもしなきゃ子供はできんのじゃ。まったく。

5月20日 「白い人・黄色い人」感想(遠藤周作)

 お誕生日に頂いた本を読破。カトリック作家がどんな小説を書くのかと思っていたけど、
読んでみてちょっとびっくり。「オレはカトリック信者だけど原罪意識なんてないんだよ」というのが
「白い人」「黄色い人」両方のテーマ。私は生まれながらの信者ではないし、今も信者ではないけど
なんとなく、彼の描く日本人の無神論っぷりや宗教に対する良い意味でも悪い意味でもある無関心さが
身にしみて理解できて、考えるところ多き短編。
彼が神学生としてヨーロッパに留学していた時の、彼自身の「宗教者として生きるか否か」という
精神の葛藤もそこにはうかがえる。私も神学と宗教を学ぶためにカトリック教会に通っているけど
なかなかここまで深い信者さんには巡り会えない。そういう意味でも実り多き読書だった。
また読んでみたいな、遠藤周作。

5月9日 「白い人・黄色い人」(遠藤周作)

 記念すべきお誕生日(って、そろそろうれしさも微妙になってきたお年頃。)に、友達がくれたプレゼント。
本好きだけど、誕生日に本をもらうということはあまりなく(多趣味すぎ)、今年の誕生日は本を2冊
もらうという実り多き日だった。1冊はGraduale Triplexというフランス語の文献(含ラテン語の歌)だから
今日のお供にはのせられないけど、こちらはこれからのお供です。
私がキリスト教神学とグレゴリオ聖歌でカトリックに出会ったという話をしたときに、この本の話が
出ていて、遠藤周作の本は実家にあるけど一度も読んだことがない(!)ということを言ったら
まさかこの本をいただけるとは・・・・。感想お楽しみに。

3月31日 「オリエンタル・カフェ」(森瑶子)「ぼくはビート」(山田詠美)

 今は伊豆の実家に戻ってのんびりしているんだけど、今日は成績表を取りに東京に来ています。
なんとなく移動することが多く、移動なれしている私の旅のお供は「音楽」か「本」で、今回は街の図書館で
借りた本二冊を伴って上京。
オリエンタル・・・のほうは、昨々夏に行ったシンガポールが舞台。暑さがとても気持ちよかった、
あの常夏のシンガポールを思い出しながら読んでいると、人によって暑さの感覚というのは全然違う
んだな、と思った。森瑶子は私の郷里、伊豆生まれで途中まで伊豆育ちでおなじ気候を分かち合って
いるにもかかわらず、こんなにも暑さに対する表現が違うのか、と愕然。
これを書いた頃の彼女と今の私は年齢も感性も全然違うけど、ちょっとびっくりの一冊。
しかーし、彼女には私と同じ匂いを感じるのだな、コレが。
ぼくは・・・のほうはまだとちゅうなので、読んだらまた書きます。

 3月5日 荒川洋治エッセイ

 最近移動時間が多かったり、ちょっと自分の時間ができたりで「本の虫」がうずうずしてる。
昨日買った「恋する伊勢物語」もベッドの中で読み終わってしまったので、友達のミュージカルを見に
行った帰りに、乗換えで降りた池袋で本を買って帰ろうと思いデパートに入ったはいいものの・・・。
こういうときに限って読みたい本はないし、「これ!」って思う本がないのでぶらぶらしていたら、
「詩歌」コーナーで先生の本を発見。
荒川洋治は自分で詩人とは絶対に言わない現代詩人だけど、
奥が深くてノリのいいトークをする。教室では。私はあんなにいいゼミにいながら後半半分をさぼってしまった
のが今になってすごく悔やまれる本だった。
確かに読みすすめると面白いんだけど、先生の生ライブのほうが格段に面白かったんだ、というのが
読んでいくうちにはっきりしてきて、自責の念は高まる一方。
結局立ち読みであらかた読んでしまって(講義で聞いた話もあった。)、なんとなく本屋の書棚にもどして
しまった。何年かたって、全然別のところで出会ったらそのときは手に入れるかもね。
「今日のお供」とはいいかねるこの本だけど、とりあえず全部読んだので入れてみました。

3月4日「恋する伊勢物語」(俵万智)

 今日は国分寺のお友達に会いに行く約束だったのだけど、なんと疲れで3度寝!
急いで準備しているときに、国分寺までは結構遠いから電車の中で読む本を持っていこうかな?と
思ったんだけど、まぁ中央線は座れないから読めないよねってことで持っていくのをやめたのです。
そうしたら、ちょうど快速で座れちゃったんですねぇ。
新宿―国分寺間約30分、ヒマでたそがれた私を乗せて電車は行く・・・・・・。
と言うわけで、帰りは本を買って読んできました。
本屋に行ったけど気に入った本がなくて、(実はあったけど文庫じゃなかった)仕方なく買うか、と言って
買ったのがこの本。もともとは読売新聞の日曜版に連載していたものに加筆をしている本で、
私、実は連載を読んでたんだよね。でも伊勢物語自体好きなので読みたくなるつど、図書館で借りたり
して読んでいた本。古典なんて、と思っている人にもわかりやすくて面白い、歌舞伎座のイヤホンガイド
みたいな本です。

2月27日「とれたての短歌です。」(俵万智&浅井慎平) 

 金曜に見たこんにゃく座の歌のなかに、私の大好きな俵万智の短歌に曲をつけた作品があって、
それを聞いてまた俵万智をちょっとだけ読み返した。ちなみにその歌っていうのは
 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいる温かさ
という歌なんだけど、これは「サラダ記念日」からの抜粋。この歌に初めて出会ったのが中学生のとき。
そのときは今ひとつその良さがわからなかったけど、今はわかるぞ。いひひ。
本って時間がたって読み返すと新しい発見があったりするから、私は気に入った本は何回でも
読み返すほう。俵万智なんかは、彼女自身「成熟していくにつれ、歌も変わってくる」と言っているだけに
今は彼女がちょうどわが文学部にいた頃の歌(サラダ記念日に収録)なんかが私には
ちょうどいいのかも。
私のイチオシは、浅井慎平が写真をつけている「とれたての短歌です。」なんだけどね。

2月23日「ボードレール詩集」

 今日は声楽の個人レッスンをしてもらって、半分夢見ごこちでしかも鼻歌まじりのアブナイ足取りで
駅につくと、その駅の上りホームにはなぜか古本屋があって、いつも時間があるとのぞいていくのだけど
今日はランボーとかヘッセとか、詩集が並んでいて、その中に全然違う「ボードレール詩集」が2冊。
それが妙に気になって、というか私はボードレールとかバイロンとか耽美な詩人大好き、だから
本当に「もののはずみで」その片われを手に入れてしまった。なんとか書店の全集のうちの一冊で、
初版、ハコ入り、カラー写真つき、オビつき、そして岸田今日子朗読ソノシートつき。
んまあソノシートにつられて買ったなんて死んでも言わないわよ。ボードレール好きなのよ、あくまで。
こんなに豪華?点セットでなんと315円(税込)。


その前の週「ノルウェイの森」(村上春樹) 

 先週は妙にアンニュイな気分が漂っていた割にちょこちょこと細切れの時間があったので、
こんなときは本でも読もう。と決心したはいいけどアンニュイに邪魔されてなかなか本が選べなかったので、仕方なくお気に入りの一つ、村上春樹の「ノルウェイの森」を持って家を出た。
 これが案外、私が勝手に名づけた「精神不安の通奏低音」的要素、とでも言うこの本の雰囲気が
まことに私の心にやさしく、なんと2日間で3回も読み返してしまった。
よし。これからなんかアンニュイだな、と思ったらこの本を読もうっと。

 

戻る