絶対音感って何だろう。ちょっと知ってみよう。のページ。
(2000/9/30執筆、大幅に加筆訂正)


絶対音感って言葉を聞いたことがありますか。
それは、なーんにも持っていない人や全く音楽にかかわりのない人には
「一種の才能」と言われ、熱心に子供に音感教育をされるお母さまもいらっしゃるようですが。
私にとっての「絶対音感」は両刃の剣です。

そもそもの定義は、私は音感に関して素人なのでとっても簡単に言ってしまうと
♪耳に入ってくるすべての「音」がある特定楽器における音階に聞こえる
♪耳に入ってくるすべての「音」がある一定の音の高さ(ピアノなら442Hz程度)くらいにおける音階に聞こえる
といったような感覚を指します。
私の場合本格的に声のレッスンをはじめた20歳くらいまでは何を聞いてもピアノの音階(440〜446Hz)に聞こえました。
その後絶対音感破壊計画(単にバロックピッチに慣れただけ、とも言われますが)によって
ピアノの音階に聞こえたり、バロックの音階(415Hz)を持つ楽器の音階に聞こえたりします。
破壊じゃなくてむしろ悪化してるじゃん、とは言わないで・・・(苦笑)
鋭い人になると、なべをちょっとこづいただけの音も音階で言い当てられるそうです。
(やってみたら私もできたのでちょっとショックでした)

「それのどこが両刃なの?」と言う人もあるでしょう。

すべての音が音階という「記号化」されるということは、
逆に言うと1年365日24時間年中無休で耳に入ってくる音すべてを脳が認識しているのです。
例えば私がけん玉を一生懸命やっていたとして、
もうちょっとでE難度の技がマスターできるところだとします。
そこに救急車がぶぉーと通りました。
その時点で私の集中力は途切れます。当然E難度の技もパー。玉が飛んでっちゃうかもしれません。
その理由は、救急車のサイレン。通り過ぎるときに、「ドップラー効果」で音が低くなって聞こえる、
という現象が見られます。普通の人には「なんか変な音ー」で済みますが。
私の耳は最初にとらえた音が、どんどん不協和音階的に転調(耳ざわりの悪い音)していってしまうように聞こえてきます。
協和音階的ハーモニーのない音というのは、私のような人間にとってそれらすべてを
聞くこと自体がストレスであり集中力の妨げとなってしまうのです。

同じような例として、カラオケに行ってお気に入りの歌を歌おうとしたときに
あまりにも高いキーだったために、ご親切に転調なんかされているとひどいときは全く歌えません。
(この現象は声楽のレッスン時に転調の訓練をすることで大分緩和されてきました)
他には…私の場合ポップスを聞いていても歌詞がなかなか覚えられません。
1曲まるまる音は歌えるのに歌詞が全然頭に入っておらず、歌詞を渡されてもどの言葉がどの音に乗っているのかが全然わからないのです。
結局カラオケには不向きなタイプの絶対音感なのかもしれませんね・・・。
逆に得意なのは聴音。ピアノ88鍵すべての音が頭に最初からインストールされてる気分です。
和音や旋律をピアノで鳴らしたときに、その音を瞬時に歌えたり楽譜に起こせたりします。

私の大学の先生に西洋クラシック畑出身の作曲家がいらっしゃってこの話をしたときに伺った話ですが、
邦楽器での作曲をするときはまるきり西洋音階に楽譜を読み替えてしまうと言います。
彼もまた絶対音感を持っているからこそ簡単にできることなのでしょうけれど・・。
(後日声明の方とセッションをする機会があったときに、私も無意識に西洋音階で聞いていました。)
その先生は「環境音楽」という研究もなさっていて
商店街やデパートなど無数のお店集中する場所では全部違うアーティストの音楽をかけていますね。
そういった音楽的つながりがまったくない「音の洪水」の中を歩いていて気持ちが悪くて吐き気がしそうになった、という経験をなさったそうです。
それ以来ある施設や場所のどこを歩いていても音楽的な耳の負担が無い「環境音楽」への取り組みをされているとか。
(先生が音楽を手がけた「場所」、はいくつか実在しますがここでは割愛します。)

先生のように絶対音感が自分の中にあるおかげで目に見えないストレスが累積されることもあります。
その蓄積されたストレスは何かの身体的(先生の場合は気持ち悪さ)または精神的症状として表れる場合もありますし、
現代の音にあふれた生活ではあながち無視できない現象であると考えられているようです。
絶対音感のない人にはなかなか理解しづらいものがありますが、才能として身に付け伸ばすことよりも
生活の中で音から受けるストレスから身を守ることのほうが数倍も難しいと私自身は感じています。

ではこの絶対音感はどこから来たのか?というと。
私の場合は先天的にも後天的にも準備された環境にあったため、どうしたらこの音感が身につくのかというのは実をいうとよくわかりません。
わが母親は音楽的訓練を一度も受けたことがないのですが、どこかで1度でも聞いたことのある唄はすらっとピアノで弾けます。
(私は器楽曲に強いので、やればできるけどちょっと難しいです)
というわけで遺伝要素がひとつ。
そしてピアノのレッスンで幼い頃1オクターブを歌いながら弾く、という訓練を何年もやらされていました。
そのおかげで私の絶対音感はピアノベースなのだと思われます。
というわけで後天的要素がひとつ。

なんとなく世間ではいいイメージがついているこの言葉ですが、
持っている人間にとってはまさに両刃の剣だと思える今日この頃です。

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