大祭・御柱祭

★日程
2004年4月
2日(金)自宅→富士・身延線甲府・小淵沢経由→茅野市K池邸
3日(土)御柱祭「山出し」2日目
4日(日)御柱祭「山出し」3日目 1日目と同じルートで帰宅


★七年に一度の大祭「御柱祭」

「御柱祭」のある諏訪出身の友人宅を訪ねました。
私が彼女と知り合ったのは前回の御柱後で、今回の御柱は数年前から楽しみでした。
彼女の実家には以前も黒部から帰る途中(でもないか?)にお世話になっており
八ヶ岳が美しい諏訪地方は久しぶり。

御柱祭とは、「諏訪大社」の氏子による祭りです。
古くは平安時代にさかのぼれるそうで、この期間はどこに行ってもお祭り。
現在では全ての住民が信仰の面で「氏子」なわけではないそうで
地元住民=氏子という認識でよいのだそうです。
(実際彼女の家も禅宗だけど祭りには先祖代々参加してきたんだとか。)

御柱祭には大きく分けて2回、全部で4回の祭りがあります。
上社の「山出し」「里曳き」、下社の「山出し」「里曳き」で日程は上社の山出しが4月上旬、
その次の週が下社の山出し、次の月の上旬に上社の里曳き、次の週に下社の里曳きで終了です。
説明の順番が逆になりましたが、「諏訪大社」は二つあるのです。
私も前回友人宅に行くまではただ全国に散る「諏訪神社」の総本山のようなものと思っていました。
諏訪大社には「上社」と「下社」という二つの社があり、それぞれに上社は「本宮」「前宮」、
下社は「春宮」「秋宮」と二つずつ境内が分かれています。
ちなみに上社は茅野市、下社は下諏訪町にあります。

祭りからさかのぼること2年、曳行する御柱を選ぶ「見立て」から始まり
山出しは文字通り山から御柱を曳航し途中の急坂を下る「木落とし」、川を越す「川越し」をして一旦「御柱屋敷」に納められます。
1ヶ月後に御柱屋敷から本宮、前宮に向かってそれぞれ曳行し御柱を建てて祭りは終わりです。
上社の御柱には前後に2本ずつ紅白の布で巻かれた木(メドデコ)が斜めに立ててありその木にも人が乗っています。
友人に聞いた話では、TVで見るとおり下社の御柱にはメドデコがないそうです。
私が行って来たのは(友人宅は茅野市)上社の山出しで、
テレビで「死人が出た」とよく報じられる下社の山出しのメイン「木落とし」とは別物です。
下社の御柱については全くわかりませんので、公式ページをどうぞ。


★行程・身延線を選んだ理由

昨年高校時代の友人の結婚式が松本市であり、その帰路で初めて知った身延線経由というルート。
松本駅の駅員さんが「東京回りと時間は大差ないが、距離が短いので安い」と言っていました。
その時不安を持ちながらも仙台在住の友人と甲府で別れ、初めて身延線に乗ってみたのです。
私はフラ〜っと紙切れのように予想もしないところへ行ってしまう放浪癖があって
同じルートを何度も見て味わうのもいいけれど、どちらかというとあたらしもの好き。
今回も住んでいた東京回りよりは身延線ルート(運賃も安いし混雑も少ない)、と迷うことなく。

静岡県民歴は長いけれど、富士駅から北上して富士宮、さらに甲府というルートは新鮮。
大体伊豆半島に在住していると富士に用事なんてないのです。
買い物も沼津で済んでしまうし、富士や静岡市より横浜・東京のほうが近くて便利だし…
以前静岡で同郷の友人とオフ会をやった時に、実家から静岡市まで行くより東京の自宅に帰ったほうが
早かったという笑えない事実が発覚してからますます足が遠のいていたのでした。

富士で乗り換え、身延線の特急「ワイドビュー富士川」号で甲府までの旅。
途中富士山を見て、ひたすら山間部を北上してまもなく甲府。
今年はソメイヨシノが早かったこともあり、甲府駅付近は桜が満開でした。
恒例の信玄餅を買い込み、ベンチでほお張りつつ乗り換えの時間つぶし。

甲府からは小淵沢行きの普通電車でゆっくりと長野県を目指す。
どう見ても地元の人しか乗っていないローカル線は、不思議な言葉でいっぱい。
土地の空気に包まれて運ばれる途中の風景には残雪の南アルプス。
最近、山がブームなんだよね。立山もそうだしね。

ほどなくして小淵沢に着き、またトランジットの時間をつぶす。
暑いくらいの伊豆から来た私には小淵沢の空気はまだ寒い。
本当はホームから見える高い山並みを飽きるまで見ていたかったんだけど…
山ブームな私にぴったりの身延線というルートも、間もなく終点の茅野駅に着く。
小淵沢からのローカルはなんと「手で開ける」ドアでした。
寒冷地にはよくある電車なのだそうですが、当たり前ですが南国伊豆にはありません。
茅野駅ではドアを開けるタイミングがわからず、他の乗客の後ろについてみたりして…



★御柱祭を肌で感じる

ここからは私が見聞きした「上社の山出し」について書いていきます。

文字通り山から曳航を開始して、3日間かけて「御柱屋敷」まで御柱を運びます。
1日目は原村の「綱置き場」から「穴山の大曲」を経て、「子之神」で曳航終了、次の日の木落としに備えます。
上社の御柱は全部で8本。本宮1〜4の御柱と、前宮1〜4の御柱で本宮1が一番太く、
前宮4が一番細い御柱と決まっているのだそうです。メドデコもこれに準じて細くなっていくんだとか。
私が到着した夕方ごろにようやく1日目の見せ場「穴山の大曲」にさしかかっていて
この場所、交通規制解除後の夜に連れて行ってもらったのですが、ほぼ直角。道幅は1車線。
こんな曲がり角を長い御柱が通るには、指揮官(のような人)の采配が上手く行かないとダメなんだそうです。
当たり前だけど一度になんて曲がれないので、少しずつ何度も場所を移動していき
そのたびに「木やり」という甲高い声の合図、進軍ラッパ、「エイサ、エイサ」の掛け声が響く。
「木やり」は最初聞いた時には声明のようにほとんどがメリスマティックな節回しなんだと
一人勝手に思い込んでいたら、きちんと言う言葉が決まっているのだという。
喉声で高音域が続く木やりだけど、男性も女性も子供も歌う。
やっぱり男性が一番きれい。もちろん音域はカウンターテナー。

初めて御柱を生で見て、一番驚いたのが木やりに続くラッパ。
そのメロディーはもろに進軍ラッパで、「突撃の合図」がよく使われていました。
使っているラッパはトランペットなどのように音程調節のない軍隊式ラッパで昔の御柱にはなく、
男性が戦地に行ってしまい人が少なくなった御柱祭の景気付けに使われるようになったそうです。
(戦時中にもあんなに大きな祭りをやっていたという事実も凄い)
出身県にキャッチフレーズをつけるなら「軍歌系信州人」とよく友人が言っていたのを今、納得。
(ちなみに私がつけたキャッチは「ラテン系伊豆人」です。これもピッタリ。)





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