智恵子抄  高村光太郎


この中に収められている「レモン哀歌」は教科書にも出てくる超有名な詩です。
かくいう私も「レモン哀歌」で韻文の世界に入って未だ抜けることを知らない、
という困ったきっかけを作ってくれた本。
我が家には母親が高校生のときにお小遣いを貯めて買ったという
箱入り布張り装丁の「智恵子抄」があって、旧字で非常に読みにくかったのですが、
私はそれを大事に大事に読んでいました。
しかし何分古い本なので、最近は文庫版を買ってそちらを読んでいます。
本にとっては装丁もいのちなのだな、と思わせてくれた浪漫いっぱいの「智恵子抄」。
気に入っている詩はたくさんありますが、「郊外の人に」を載せてみました。
光太郎が智恵子を支えとしてその愛をつづったものですが、なんとなく光太郎の気持ちのほうがわかるんだな・・・。
やっぱり男なのかしら。私。

 

郊外の人に

わがこころはいま大風の如く君にむかへり
愛人よ
いまは青き魚の肌にしみたる寒き夜もふけ渡りたり
されば安らかに郊外の家に眠れかし
をさな児のまことこそ君のすべてなれ
おまり清く透きとほりたれば
これを見るもの皆あしきこころをすてけり
また善きと悪しきとは被ふ所なくその前にあらはれたり
君こそは実にこよなき審判官(さばきのつかさ)なれ
汚れ果てたる我がかずかずの姿の中に
をさな児のまこともて
君はたふとき吾がわれをこそ見出でつれ
君の見いでつるものをわれは知らず
ただ我は君をこよなき審判官とすれば
君によりてこころよろこび
わがしらぬわれの
わがあたたかき肉のうちに籠れるを信ずるなり
冬なれば欅の葉も落ちつくしたり

音もなき夜なり
わがこころはいま大風のごとく君に向かへり
そは地の底より湧きいづる貴くやはらかき温泉にして
君が清き肌のくまぐまを残りなくひたすなり
わがこころは君の動くがままに
はね をどり 飛びさわげども
つねに君をまもることを忘れず
愛人よ
こは比ひなき命の霊泉なり
されば君は安らかに眠れかし
悪人のごとき寒き冬の夜なれば
いまは安らかに郊外の家に眠れかし
をさな児の如く眠れかし

 

 

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