モノ雑感

For Wedgwood 〜ウェッジウッドによせて〜
For Christofle 〜クリストフルへの想い〜
Musical Muses 〜ミュージカル・ミューズ〜


ミュージカル・ミューズ 

ふとした思い付きでウェッジウッドのカップを買った。
名前は「ミュージカル・ミューズ」。
ギリシャ神話をモチーフにしたとても美しいデミタスカップです。

私の本名はやっぱり「みなこ」なんですが、漢字名です。
大学時代友人に「あなたの名前はヴィーナスの当て字から来てるのよ」と指摘されました。
ヴィーナス。
ギリシャ神話に登場するオリンポスの12神、アフロディテの英語名です。
ちなみにアフロディテは「美と愛欲の女神」、恋がお仕事の女神です。
三美神(美、雅、芸術的な霊感)を従者としていました。
なんだか・・・この事実、手放しで喜んでいいのでしょうか?

まあそれはおいといて、「ミューズ」も同じギリシャ神話の女神です。
こちらはオリンポスの12神以外の神で、
調べてみたところ「芸術の女神」は全部で9人いるそうです。
その中の音楽を司る神、ポリュヒムニアが=ミュージカル・ミューズ。

私はご覧の通り音楽をとても愛して止まないのですが
どうもタイミングがよくなく、今までにもなかなか生業とできないのです。
音楽の神様にはどうもあまり好かれていないらしいとは思ってましたが
それはそうだ・・・
同じ女神で対等、しかも自分の方のアフロディテは音楽が本業じゃないもん(笑)
買ったばかりの美しいカップでエスプレッソを飲みながら、果てしなくそんなことを考えてみたりするのでした。

 

銀器への想い


私の大好きなクリストフルの銀器。
やっと、やっとのことで自分のために一本コーヒースプーンを買った。
これから毎日毎日、数ヶ月、数十年このスプーンと仲良くしていくわけで。
私が命を終えるときには、このスプーンはどんなふうになっていくのだろう・・・

私と銀器との出会いは、フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの作品の中。
有名な「レ・ミゼラブル」の作品中、要所要所に「銀の蜀台」が登場する。
主人公ジャン・ヴァルジャンが刑期を終えて最初にたどりついた寝床、
それはミリエル司教の管理する司教座聖堂。
世間がひたすら犯罪者を排除する時代、寛大にして偉大なるミリエル司教は
この男ジャンを温かく迎え入れ、普段は木の食器を使っている司教が
客人のために銀器で食事を出す。
ジャンはここで仮寝し、今後の生活資金を得るために
この司教の銀器を盗み明け方の街に飛び出す。
そのときの司教の言葉が実に印象的なのだ。
「元々あの銀器は、我々のものだったのかね?
お金に、生活に困っている人があれば、喜んで進呈するのが当然だろう。」
という内容の説明が続くのだが、ジャンはなぜか銀器のうち「蜀台」だけは
売らずにその後ずっと持ち続けることになる。
その後この「蜀台」がジャンの人生を狂わせ支配し続けることになろうとはつゆ知らず・・・

この文中で登場する「銀の蜀台」がイメージするところがまさにクリストフルの蜀台。
ユゴーもクリストフル社もフランスであるし、時代も時代なので
もしかしたらユゴーはクリストフルの蜀台を知っていたのかもしれない。
先にレ・ミゼラブルの文に出合って、後からクリストフルの実物を見たのは
実に不思議な縁だったのかもしれない。
先ほどの文章の続きになるが、レ・ミゼラブルの中でその後ジャンは
蜀台を手放さず背負い続けることによって、自らの犯した罪、
果ては宗教的意味合いを除いた自らの半生における原罪意識に苦しむこととなる。
先のミリエル司教がそうであったように、どこまでも美しく気高く時を経た鈍い輝きを放つ
「銀の蜀台」と、暗黒であったジャンの前半生がとことん対照的なのである。

そんな事情があって、私はクリストフルの銀器に一目で夢中になった。
銀の盆、銀の皿、銀の蜀台・・・それらは一目にして私をレ・ミゼラブルの世界に引き込む。
ユゴーのこの作品は長い間私の愛読書であり、好きな本を10作品選べと言われたら
間違いなくレ・ミゼラブルは入るだろう。
しかしいつしかこの作品よりも「銀器」に夢中になってしまった。
読み込めば読み込むほど、イメージはクリストフルで強固になっていくのである。
いまだ私は「銀の蜀台」を手に入れてはいない。
買おうと思えば買えるのになぜ買わないのだろう。
それは私がまだ「ミリエル司教」になり得ないからなのか。
白い清潔なリネンに、磨かれた銀器、美味しい食事、
そしてその銀器を使いこなす主、司教の人を愛する温かなまなざし・・・
そんな風景が一度にして思い浮かべられる。

私は、まだミリエル司教になりえない―
 

 

ウェッジウッドによせて

とにかく「好き」であること。
琴線をかきならす「モノ」であること。

それがモノを買う基準です。
これはウェッジウッドに限ったことではありません。
だからきっと、
私は一生「コレクター」にはなれないのでしょう。
なぜなら。
ウェッジウッドは好きだけど、
ウェッジウッドにも「嫌い」は存在するから。
ウェッジウッド=全部無条件に好き、じゃない。
だから私はコレクターじゃない。
コレクター=集めること≧≦好き
私=「好き」だけをいっぱい集めるひと
だから、
コレクター ノットイコール わたし。

ブラックジャスパーは好き。
コスメラインは好き。
ヴィクトリアシェイプは好き。
キャンシェイプは好き。

クリーブデンのピオニーに恋焦がれた日々。
クリーブデンのリーは琴線に触れてもくれない。
サマルカンドのリーはいつも私の心をかき乱す。
サマルカンドのピオニーは私の目にゆがむ。

彼ら全てが私をとりこにできないように、
私も彼らの全てを知りたくない。
恋は盲目だから、
永遠に、「好き」の甘さに浸っていたい。

ひとの手から生み出された瞬間にして
すでに神が創りたもうた奇跡のボーンチャイナ。



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